CLASSIC スタッフブログ Vol.50
このコーナでは、クラシックの社員が自分の仕事を通じて気になったこと、面白かったこと、お客様にお伝えしたいこと…などなどを気ままに発信していきます。
今回は、取締役専務執行役員・佐々木がお送りします!
どうぞお楽しみください!
■ご挨拶
春和景明の候
このたびは初めての執筆となります佐々木でございます。
現在クラシックには複数名の佐々木が在職しており、その内の一人でございます。
最初に、これまで私を育てていただきました全てのみなさまに感謝申し上げます。
その方々の先にも、更に関係する方々がいらっしゃることを考えますと、まだ直接はお会いできていないたくさんの方々にも間接的に繋がっているという”ご縁”をいただいておりますこと、深く感謝申し上げます。
私は、現在もこの「Classic Japan」という会社で、花の仕事に携わっております。
さてCOVID-19の影響で生活様式に変化が生じ、その生活様式の変化が新たな変化を呼び起こすというニュースを耳にすることが多い昨今です。
花(を生業とする)業界も同様に、変化を続けていると認識しております。
「それぞれの人に平等に与えられたものは”時間”である」と、どなたかがおっしゃってました。
”今”という時間だからできることも多いのではないでしょうか。
どこかに置き忘れてしまったものや、時と共に身に着けた鎧が重くなっていたり、大事だと思っていたものが隠れてしまったりします。
今一度、未来のその先を「もっと面白い!」と想像してみましょう。
そのステージから見える景色はいかほどのものでしょうか。
今回は、変化しきれない私が、変化する花業界との出会いを少しばかり振り返り「未来へつながる小さな芽を見いだせないか」と、自問自答する回顧録とさせていただきます。
本来であれば、今後を担う若いみなさんに対して、小さくともヒントになるようなものであれば良いのでしょうが……それはございません。
■花の仕事に携わる
山野を見ながら育った私は、東京という場所で何も考えず就職を迎えます。
紆余曲折があったものの、最終的に就職雑誌で目に留まった現在のクラシックから内定をいただきました。
「私に何故内定をだしたのでしょうか?」
会社にとっても大きな「Challenge」だったと思います。(会社からは、早い段階で失敗したと思われていたのでしょうけど…)
記憶は既に風化していますが、本来4月からの勤務ですが、内定後9月頃にこんな話をいただきました。
当時からメインの商品であった、デンファレを生産しているタイで「お手伝いをしないか?」とのお話でした。
就職が決まった後も、引き続き何も考えていない私は「了解です!」と一つ返事。
国際免許を持参し、いざ初めてのタイへ。
どなたかに随行して行くものと思っておりましたが、
「現地空港で『C』のマークの入ったTシャツを着た駐在員が待っているので・・」
「なるほど。了解です!」
今思えば「了解です!ではないだろう」と、自分にツッコミをいれたいところです。
片田舎で育った私には、タイの農園(圃場)の規模と、パッキング場で働かれているたくさんの方々に圧倒された記憶がございます。
…本当はそこまでは記憶が鮮明ではないのですが、そこが私の原点になったのは間違いありません。
滞在中にはこれまでに経験の無いことばかり…
何もわからない私に、駐在員の方はもちろん、現地社長はじめとする、たくさんの方々に丁寧にご指導を頂きましたこと、改めて感謝でございます。
その後、私は帰国し、4月より同期入社の方々と共にクラシックで勤務することとなった次第です。
入社後は花き市場での研修機会に恵まれます。
いろいろな意味でご指導頂きました方々、市場関係者のみなさま、たくさんの方から教えていただいた事が、今でも私の土台となっています。誠にありがとうございます。
全て手競りでしたかね。
(前段で記載した)タイのデンファレが上場され、買参人の方々が次々にセリ落としていただく様(さま)を見た時は、産地からクラシック、そして市場への流れがやっと「繋がった」瞬間でした。
そして輸入商品だけでなく、圧倒的な数量を誇る国内産地の商品を見ることができたことに少なからず興奮を覚えていたということは、既に花の商いへ引き込まれていたのかも知れません。
その当時のタイ産デンファレは婚礼にも使用されていた商品であり、単価も今以上に高い価格で取引されていましたね。
時代の流れで、人も商品も居場所が変化していくという事でしょうか。
残る商品になるには、そうした変化を受け入れていく事も必要なのでしょうね。
一方、タイでお世話になった農園とは時代の流れもあり、その後10年位でしょうか、クラシックとの取引は終了し、私たちは新たなパートナーと取引を開始し、現在に至っております。
駐在していた農園はその後、数社の日本の輸入業者とお取引されておられた様です。
しかし、数年前に(これも時代背景からでしょうか)廃業という道を選択されたとお聞きしております。(お金に困って…ということは全く無いようですが)
取引は終了しましたが、良き関係が続いており、その農園経営者とクラシックのトップ間でのプライベートなお付き合いは継続されていたと思います。
このこととは無関係ですが、自身は変わらなくても時は流れ、環境が変わっていきます。
変化が必要ない時でも、変化の流れを感じ、変化への準備を進めておくことはとても重要だと感じています。
しかし、大変難しいことです。
■社員旅行にて (MEXICOへ…)
昨今は実施しておりませんが、社内結束、コミュニケーションなどの目的で、その当時クラシックでも近場ではありますが、社員旅行というものがございました。
入社後、数年経過したある社員旅行での出来事です。
食事前に大浴場で数人と、のんびりとしておりましたところ、たまたまある方が入ってこられました。
なんでそうなったのかは記憶も無いのですが、『メキシコでプロジェクトを考えているが、行く人いないかな~」と多少籠った声が湯気に混じって大浴場に漂ったのです。
私はまあ、いつもの冗談であろうと思い、「いいですねー。私行きます。」と。何もなくすものはないので・・・
その後、社員一同が介した夕食の場でのことだったでしょうか、あいさつの後、「メキシコに佐々木君が行くことになりました。」と・・・会場は驚きでは無く、笑いが起こる状態であったように思います。
当の私は「むむ・・・」と周りを見渡し、苦笑い。
冗談じゃなかったのか?え?これもジョーク?どれが本当なのか?
今度は私の頭の中が何かで籠ってしまったのです。
しかし直ぐに、本当でも冗談でも何でも「まあ、良いか。」と・・・・
ここでまた「経営者はなぜ私なんぞを・・」無謀?なChallengeだったのではないでしょうか?
その後は、国内の生産者の方の下(もと)で研修をさせていただきました。
そこでは「こんな人にならなければ!」と思うほど良くしていただきました。心より感謝いたします。
またその時の話題は次回にでも。
数カ月後私は、メキシコに行くことになったのはいうまでもありません。
その行先はMexico cityから100km位の片田舎、その一帯は花の生産に適した場所で、主にバラが生産されていました。
今でも花の生産は盛んな場所だと聞いております。
その会社は「Cosmo flor」うん?flora?
現地の仲卸の方々も、直接購入のために農園まで来ておられました。
農場のみなさまや仲卸のみなさま、他あらゆる方々にここでも良くしていただきましたこと、心から感謝でございます。
ちなみに、生産を試みた商品(品種)はその当時はオランダから輸入していたユリのCasablancaです。
その農場でも初めての生産でした。
そこに携われたことは、今の私に何かしらのものを繋いでくれたものと思う次第です。(当時、周りからはどのように思われてたかは、今となっては知る由もありませんが)
■CLASSICの最初の「C」
私の名前の中には「C」は入っていませんが、感謝を忘れず、変わらぬ大儀を持ちながら心の中にChallengeという「C」をもって
明日のその先を見据えて、この花業界に少しでも恩返しができるよう努めてまいります。
また古(いにしえ)より大事にされてきたものがあるとすれば、その先に繋いでいきたいものです。
破壊からの創造、想像して創造する。変わることへの畏怖の念を拭いながら・・・
「いいね!」