CLASSIC スタッフブログ Vol.119
このコーナーでは、クラシックの社員が自分の仕事を通じて気になったこと、面白かったこと、お客様にお伝えしたいこと…などなどを気ままに発信していきます。
今回のブログは、クラシック執行役員・木原がお送りします!
どうぞお楽しみください!
■起 : 送り火
1週間遅れで、盆帰省をした。
年に一度は帰るようにはしているが、「8月」というのは、実に30年ぶりである。
羽田を発ったのは8/19だったので、盆のしつらえも、もう片づけられているはずだ。
しかし実家に着いてみると、ほうろく皿と焚き木が、庭の隅に出しっぱなしだった。 理由を聞くと、「ここらあたりは、8/22頃迄送り火を毎日焚く」のだと言う。
父いわく、「ご先祖様があの世に帰りつくまで、1週間位かかる。その間、道に迷わないように毎日焚く」との事。
一般的に、送り火は8/15~8/16に焚くものなので、8/22迄とは、なかなか長旅でご先祖も大変だ。 ただその変な風習のおかげで、私は2度も送り火を焚く機会を得た。
地域性か 私の家では、盆提灯は掲げるが、「精霊馬」も「盆棚」も用意しない。
祖霊があの世と現世の行き来につかう「乗り物」に見立てた「精霊馬」の存在は、知ってはいたが、馬と牛を野菜で見立てる供物には、未だに馴染めないでいる。
■承 : とんぼ
祖霊の乗り物といえば、私が子供の頃、祖母に聞いた話を思い出す。
私の実家の近くに、霊園があった。
私の家が一番お墓に近かったせいか「墓守役」をかって出たわけではないが、昔から私の家が親戚の墓も見てまわる事が多かった。
祖母は生まれも育ちも地元の人間である。当然、祖母の身内のお墓も殆どそこにあった。
一通り盆のお参りをすませた後、祖母は
「このあたりでは、ご先祖様はトンボに乗ってあの世から帰ってくるのだ 」
と 飛び交うトンボを指さした。
そのあと背中に手をまわし、「おんぶ」するような形のまま、ゆっくりとしゃがみこんだ。
「はい、みんな 乗んなったかえ? 帰っど」
(方言訳): みなさん 背中にのりましたか? さあ今から家ヘかえりますよ)と言って、立ち上がり、すたすたと歩きだした。
これが、このあたりのやり方なのか、それとも祖母だけがやっていた事なのかはわからない。
ご先祖は先ず墓にもどってくるのだと祖母は考えていた。
だから盆の入りの日に、そこで皆をピックアップして(背負って)家へ連れて帰るのだ。
トンボに乗れるほどの極小サイズ゙に姿を変えたご先祖様が、わらわらと 祖母の背中にしがみつく絵面が勝手に頭の中に浮かんだ、
可愛い。どう考えても、アニメである。怖い要素が何一つない 。
盆の時期はとんぼが増えるので、そんな話になったのだとは思うが、私は祖母の説明がとても気に入っている。しばらくして、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を見た時、ナウシカが操る小型グライダー「メーヴェ」と、トンボにのって帰ってくるご先祖様が重なった。 思いだす度に、軽やかな心持になる。
■転 : 御供え花が「生花」から「造花」へ
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そのころの祖母は、70歳手前。いくら近いとはいえ、霊園は急な坂の上にあり、花や掃除道具をかかえて通うには決して楽とは言えない。でも祖母は日課のように通っていた。
私の両親も同様に足繁く通った道ではあるが、80歳を越えると少しずつ足腰が弱くなり、お墓が(別の意味で)遠のき始めた。長女である私も離れた土地に住んで長い。
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そして数年前から我が家の墓花は、生花から造花に変わってしまった。
数年前、お墓に供える花を買おうとしたら、妹に
「墓にはもう造花が供えてあるから、わざわざ買わなくても大丈夫」 と言われたのだ。
「久々なので、生花を御供えしたかったのだが」と思うところはあったが、親の面倒をみて、親戚づきあいをしてくれている妹の言葉は重い。
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たとえ枯れても直ぐ新しい花に交換しに行けるわけでもなく、何より見た目が悪くなるのはご先祖に申し訳ないという妹の気持ちも良く理解できる。
この前の帰省最終日の朝 一人で墓に行った。雨だったので線香さえも持たずに家を出た。霊園の様子が遠目からみても、なんだか色鮮やかだ。造花を供えたお墓が大半になっているからだ。
霊園の中を歩いてまわった。
生花だけ活けたお墓もあったが、盆から1週間近く経っていた為、夏の日差しをあび続けた花は枯れ上がっていた。榊だけは本物の家もあれば、生花と造花のハイブリッドタイプもある。飾り気は何もない石塔だけのお墓もあれば、参る人も途絶え、蔓で覆われてしまった墓もある。
最低1年はお供えする造花である。「どんな仏花にしようか?」と、それぞれのお宅で考えて購入されたものも多いのであろう、一口に造花といても種類も多く、実に賑やかな眺めであった。灰色の霊園に彩りを添えている。
私の中にある「造花を御供えする事への後ろめたさ」も次第に変わっていった。
今までは、どうしても、造花=「セカンドベスト」「次善の案」「代品 代替」な感じがしていたけれど、その時、「そうだ、見立て」と考えれば良いのだと、思い至った。日本人お得意のあれである。
「生花じゃないけど、ごめんなさい」 ➡「生花と見立てた造花を供えますね」に心の持ち方を変えても悪くないと思えた。この数年のもやもやが、ようやく晴れた気がした。
お寺にも仏壇にも昔から「常花(じょうか)」と呼ばれる花供養具の一種がある。あれは、仏教において最上の花とされる蓮の花を表している仏具なので比べる対象ではないとは思うが、あの金ぴかの蓮華の花だけが仏壇の格をあげて、造花の供花がお墓の格を下げるというわけでもあるまい。
■結 : (帰省した時くらいは)お墓 みまもり隊
跡継ぎがいなくなって、「墓じまい」や「寄せ墓」をした家もある。亡くなる親戚が多くなればなるほど、忖度する事も増えてきて、付き合いも薄まっていくのは仕方ないのかもしれない。
いくら親戚とはいえ、以前の様に勝手に掃除したりお花を供えたりする事に、なんとなく気おくれがするようにもなった。
しかし、我が家は、昔から「お墓パトロール」的な事をしてきたわけだから、今更遠慮する事も無いだろう。墓参した時に、お墓が整えられていれば、お線香だけあげて帰ってくればすむのだし、若し違ったとしても、ちょっとお掃除して、お花でも飾ってくるだけである。小1時間あれば足りる。
そうだ、今度田舎へかえったら、
- ①省初日に花屋へ寄ってお墓へお参りに行き
- ②出発日朝に、散歩がてら生花を引きあげてくる。
- ➂花立てが空っぽのままでは、寂しいのでもともの造花を活け直しておく。
そうすれば、帰った時位は「生花」を御供えしたい私の希望も叶って、花が枯れる様子を見たくない妹や、親戚の気持ちも汲むことができる。悪くないアイデアではないか。
そして今は、「可能であれば、その造花の墓花をいつか自分の手で作れないものだろうか」と考えている。
浅草橋あたりの問屋街へいけば、素材には困らないだろうし、出来はどうであれ、オリジナリティあふれる仏花になる事には違いない。祖父母が好きだった花は知らないが、亡くなった人を思い出しながら人工の花を組み上げていく行為も、新しい供養の形かもしれない。
死んだ人も生きている人も、一緒に過ごすのがお盆であるなら、これからは「生花」も「造花」もまるごと受け入れて、先祖を思うツールとして、両方をうまく使い分けていけば良いのだと思えた夏になった。
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