CLASSIC スタッフブログ Vol.177
このコーナーでは、クラシックの社員が自分の仕事を通じて気になったこと、面白かったこと、お客様にお伝えしたいこと…などなどを気ままに発信していきます。
今週のブログは営業本部よりff(営業推進グループ)がお届けします!
どうぞお楽しみください!
■自分の音楽を振り返る…
こんにちは、営業推進ffです。
趣味と聞かれると「楽器いじり」と答えていますが、何で楽器をいじるのが好きなのか、改めて振り返ってみたいと思いますので、しばしお付き合いを…。
楽器について考える前に、話題を音楽というところまで拡げると、私の音楽に関する傍流としては、栃木県足利市立少年少女合唱団に端を発するコーラス系の歴史もあり、中央大学の混成合唱団でベートーベンのミサソレムニス(荘厳ミサ曲)という曲を、新星日本交響楽団(現在は東京フィルハーモニー交響楽団)というプロのオーケストラをバックに歌った…という輝かしい?話もありますが、今やカラオケでも役に立たない経験ですので、思い切り端折りたいと思います。
楽器にまつわる話としては、幼少期に聴いたベンチャーズがスタートとなります。テケテケのエレキギターが有名ですが、なぜかテケテケのエレキギターではなく、メルティラーという人の叩くドラムに釘付けとなります。母にドラムのスティックをねだって買ってもらったまでは良かったのですが、叩くものがなく、化粧台の前のスツールを叩いては穴をあけ、食事前にお箸が並べば、タカタカ机を叩き「落ち着きのない子だ!」と叱られる、私のドラマーの真似事は、両親をだいぶ悩ませた様です。
その後、時代の流れに乗ってハードロックにはまり、高校生の時に初めてバンドを組み、練習スタジオで本物のドラムを叩く機会を得ることになります。最初に演奏した曲はディープパープルのブラックナイトという曲でしたね。
■ドラムだけか…
という事で、ドラムを叩くのが好きで、どんどんはまっていくのですが、中学生のころからフォークギターの流れも無視できずに、安いギターを手に入れてはポロンポロン弾いてみたり、ピアノも嫌々レッスンに通わされていたので、なんとなく鍵盤に触ったりと、幅広に楽器を触ることを楽しんでおりました。
大学では、学部が理科系という事もあり、軽音楽系のサークルが見当たらず、既述の合唱団の勧誘に負けて1年を過ごすことになりました。(田舎から出てきた若造が、都会の女子大生である先輩からの誘いを断れるわけないですよね…)
一方で、田舎から東京に出てきた音楽好きの若造は、毎日でも行けるライブハウスがあったり、世界の一流ミュージシャンのコンサートが頻繁に開催されるという夢のような環境の中で過ごすことになります。特に今は無き田園コロシアムで開催された“ライブアンダーザスカイ”というイベントで聴いた、いわゆるフュージョン(ロックとジャズが融合した音楽)のドラムテクニックに圧倒されて、以降ジャズっぽい音楽に惹かれていくようになります。
■JAZZ…
(何度も登場しますが)大学の混声合唱団の先輩から、劇団のバックミュージシャン(ドラム)を探しているという知人の方を紹介してもらいました。SF作家である筒井康隆さんの世界観を芝居で行うといったものでしたが、場面に合わせて、年上のジャズ研の方々と即興で作り上げていく音楽を演奏するといった内容でした。ドラムならそこそこ叩けると自惚れていた私は、ジャズの基本のリズムも全くできないという現実を目の当たりにして、冷や汗・脂汗の連続でした。ジャズ研の先輩からは、呆れられながらもいろいろと教えてもらって、何とか池袋小劇場の2日間公演を務めることができましたが、今から思うと無謀というかやり遂げられたことは奇跡に近かったことのように思います。
そんな折、高校の同級生が青山学院大学でジャズのビッグバンドサークルに入ったとの話を聞きつけ、頼み込んでエキストラ参加させてもらい、再びジャズの洗礼を受けることになります。(このビッグバンドサークルの名前は“ロイヤルサウンズジャズオーケストラ”という仰々しい名前で、青学に似合わない名前ですが、今も活動を続けていると思います)
大学時代は就活よりもドラムの練習を優先する様な生活をしていましたね… 山野楽器さんが学生バンド(ジャズビッグバンド)のコンテストを毎年夏に開催してくれており、そこで入賞するという事が大きなステータスでもあり、目標にもなっていましたが、4年生の時に特別賞をもらえたことは、いまでも良い想い出になっています。(同時に、練習を優先するあまり、夏の就活時期に、面接を辞退するという暴挙に出て、両親からこっぴどく叱られました)
ロイヤルサウンズでは、金子晴美さんや真梨邑ケイさんといったプロシンガーを招いて、バックで演奏する機会にも恵まれました。本番で、真梨邑さんのマイクが故障して声が聴こえず、みんなでズッコケたというトラブルも、おもしろかった記憶として残っています。
■社会人になって
会社に入って、ふとしたきっかけでバンドを演ろうという話で盛り上がる友人たちに恵まれ、音楽の好みは別としても、まずは楽器をもって集まろうという事になりました。結局、このバンドではジャズを演奏することはできませんでしたが、メンバーが次々と結婚していく時期でもありましたので、結婚式二次会バンドとして活動していました。お嫁さんが歌いたいといえば、松田聖子でも今井美樹でもなんでも、カラオケバンドとして演奏してましたが、結構楽しかったです。
時々は、ライブハウスを借り切って仲間のバンドとともに、演奏する機会をつくり、TOTOやらサンタナ等のコピーを演ってました。仲間にチケットを配って足を運んでもらうのが大変でしたが…打ち上げのビールは最高に美味かったです!
■場面は中国_北京へ
仕事の関係で、2011年から北京に赴任することになりました。ナンチャラ諸島の反日デモが盛り上がる少し前ですね。北京市内の日本食店には、日本人向けの情報誌が数種類置いてあるのですが、そこでは様々なサークル活動が紹介されています。目に留まったのがBJBJというバンドでした。Beijing Japan B rass and Jazzの略で、吹奏楽とジャズの混成バンドという感じでした。夏とクリスマスに定期演奏会を開催するのですが、お子様向けの曲も多く、ディズニーやアニメソングなども演りました。
個人的には、譜面通りの吹奏楽は、窮屈で馴染めなかったのですが、やっぱり楽器をいじる、音楽するってことは、何を演奏するかよりも、誰と演奏するか、誰に演奏するかがとても大切だと感じています。
加えて、ドラム担当として参加しましたが、ひょんなことからベースも担当することになってしまいました。ベースは弾き始めてみると、これが面白い!ドラマーの気持ちを理解しながらベースを弾くと一体感がさらに高くなるような気もしてきて、深みにはまっていきました。(とはいえ、まぁ一朝一夕のベースプレーヤーなので、レベルは大したことないのは当然ですが…)
でも、一緒に演っていて、フレーズやリズムの流れの中で、ふと一体感を感じられたり、会話できたと感じられるような時間が共有できると、最高に気分が上がります!
そして、その後のビールを挟んだ会話の盛り上がり(たいして上手くない演奏でもああだこうだと褒めあえるありがたさ!)も大切な要素です。
こうした時間が共有できた仲間とは、その後のお付き合いも永く、深くなっていきます。
■BJBJその後
2014年には帰国し、その後、クラシックに入社して私の身の回りの環境も大きく変わり、音楽との接点もほとんどなくなっていました。おりしもコロナの影響で、人に会う事さえ遠慮して、ライブ演奏を聴くこともなく静かに過ごしておりました。
北京で一緒に過ごした仲間たちも、ほとんど日本に帰国しており、東西全国に散らばっていて音信不通でしたが、突然、来年の夏に、東京と大阪の中間あたりでライブを演ろうという企画が持ち上がりました。
結局24年7月14日に浜松(メンバーの一人が某楽器メーカで、頑張って会場を確保)で、集まる事が決定しました。
10年ぶりに楽器に触れて、リハビリする毎日を過ごしています。
相変わらず譜面通りの吹奏楽は窮屈で、なかなかなじめませんが、一緒に大きい音を出すという事だけで、楽しい気分になります。逆にたくさんのメンバーが集まるので迷惑をかけられないと結構なプレッシャーも感じています。
内々で、誰に聴いてもらうわけでもない、自分たちで演奏して、自分たちで聴いて、打ち上げに突入というだけの話ですが、結構気合いが入ってきています。
やはり、アマチュアミュージシャンとしては、演奏している自分が良い気分になりたいので、「誰と演るか」がとても大切な要素だと改めて感じています。
■花のある暮らしっく
ジャズの名曲「酒とバラの日々」から、J-POPでもあいみょんの「マリーゴールド」、私の好きな松田聖子の「チェリーブロッサム」などなど、花に関係する曲はたくさんあります。
これから寒くなっていく季節の中で、部屋に花を飾りながらお気に入りの音楽を聴くというのも良いのではないでしょうか… 私は必死の形相で楽器の練習をしておりますが。
花と音楽のある暮らしっく!
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